つまらないに地上のウソ -山崎明保ブログ-

福島のSinger,Songwriter 山崎明保のブログ

お笑いへの嫉妬と、独り言

お笑い芸人が「お笑い」をすると、お客さんが「笑う」

歌うたいが「歌う」と、お客さんは「???」

 

決まったリアクションがない

欲しい

嫉妬だw

 

もし決まったリアクションがあったなら、

松本人志のドキュメンタルの歌うたいバージョン

「うたメンタル」が出来そうw

感動したら負け的なw

 

でも決まったリアクションがないから、

感動して「泣く」人もいれば、聞き入ってフリーズする人もいるだろうし

 

まぁそもそも

「笑う」と「歌う」

同じ動詞だが、性質が違う

 

どちらも幸せな行為だが、

本来

「笑う」のは、「理由」がある

「歌う」のは、「理由」はない

気分が上がってても下がってても出るときは出る

 

急な思い出し笑いが、周りから怖がられるのは、理由が見えないからであるw

 

「笑う」のは、受動的

「歌う」のは、自発的

でも、おもしろい部分を見つけて笑うとなると、

見つけに行くアンテナは自発的だし、

なにか幸せなことがあって鼻歌して踊ったら、それは受動的w

 

落語家さんが言う

お笑いとは、「緊張と緩和」

やはり「笑う」は受動的なもの

芸人が芸事を自発して、受け手のお客さんに見せる

 

成立しやすい

 

それに対して、

「うた」とは、「独り言と共感」

歌は本来、私的なもの、独り言

そして、

「願い」や「祈り」、「LOVE SONG」

 

もし

世界に独りで生きていたら、独り言は出ない

 

他者との関係上のことで、独り言が生まれる

それは、なにかしらの願望

願い、祈り、LOVESONG

 

私的とはいえ、届けたい先がある

その場所はハッキリ見せましょう

 

共感もさまざま

一般的には「詞に共感する」と言われるが

 

メロディとリズム、「歌いたくなる」「カラオケ行きたくなる」

これも共感

 

「この曲こんなTPOで聴きたいよねー」というのもありえるだろう

 

独り言の精度が高く、共感度も高い時がある

それが若いときで、恋してるとき

 

歳を重ねててって、歌うたいの人がつまんなくなるのは、独り言がヘタになっていくから

 

「世界が平和になったらイイのに」と、独り言を言ってる人、いたら拝んじゃう

 

そう願うことをバカにしてるわけじゃない

 

わがままにハミ出すことがヘタになってしまう

と、言いたいんです

 

うん、自分にw

 

「それが大人になるってことだ」

と、思わないこともないけど、

おもしいオトナもいる、周りにいる

 

他人と関わる上で、

独り言を飲み込むことはある

 

飲み込むなら

歌にしてから飲み込みたい

 

飲み込んでしまったら忘れるから

 

ただ、

その独り言の、提供の仕方が難しい

 

それはプライドをもって磨いていきたい