「攻撃性」と言うと、
人を傷つけるとか
ネガティブなイメージがあるけども、
そういうことではなく
オフェンシブな感覚のことを言いたい
「積極性」に言い換えようかとも思ったけども、
オフェンシブという意味にするとなると、芯をくっていない
やっぱり「攻撃性」
これは瞬間的なもの
瞬間的なアイデア
瞬間的な判断
ライブでしか養えない
バスケもしかり
空中で飛んだ瞬間に、
どう相手を交わしてシュート決めるか
交わそうとすればするほど、スピードも上がり衝突ケガのリスクも上がる
その中で刹那の判断
先の何コマか、コンマ何秒かの
先がイメージできる
それは理屈ではなく、今までチャレンジした数
対戦ステージにあがった数
それで言うと、今更ながら
バスケの1対1と、歌
これはそこそこステージに上がってきた
ステージっては精神的なこと、チャレンジしたかということ
そういう意味で言うとギターは
攻撃性を養うチャレンジはしてきてない
歌を楽しむための相棒。
そういう位置づけ
なので、ギターで攻撃性をもったアイデア、アドリブをとろうとしても、
そのステージにあがってきてないから、出来ない。
おれはできない。
歌を楽しむための相棒
としてのギターソロを、ギターフレーズを弾く
攻撃性を養うチャレンジ
ステージに上がるかどうか
は、生きてきた環境、による適性がある
だからムリに上がることはない
ただ、
オトナになって残念な人は
ステージに上がることを正しく評価できないひと
「ステージに上がったことがないから、チャレンジせずに逃げ続けて生きてきた人生だから、評価できない、そもそも概念がないよ」
確かに笑
残念なオトナは自分の好きなことに対して、「正しさ」をもってしまう。
「好き」で留められない。
「自分はセンスがある」と、人に押し付けて、
受け入れてもらえないと、
「センスに気づいていない、合わない」と相手のせいにする
こういう人は、ステージに上がらない分、暇でネットでモグラ掘り掘りしてるから、
「探すセンス」はピカイチ。
でもそこまで。
それに気づかずに、
「俺はセンスがある」となってしまう
プレイヤーとしてもセンスがあると勘違いしてしまう。
ステージに上がらず、チャレンジしないから、失敗もせず、なおのことその勘違いがこびりついてしまう
発想、発想
大事なことだが、他人に見せなければ芸ではない。
表現として特殊なのは松本人志の「1人ごっつ」の類。
お笑いとしては高額な?万単位?だったかな?お笑いライブをしたり。
あぁいうのはネタの発想が素晴らしくても、
観客がお笑いアンテナ感度を高めていないと成立しない。観客の方が拾う気マンマン笑
ドキュメンタルで松本人志が「俺は世界第二位にしかなれない」と言ったわけだが、
センスマンマンマンの方々はその本意がわからないだろう。
センスマンマンマンなのに笑
松本人志はきっとその類をやり切ったときに、虚しさしかなかったと思う。
好評で素晴らしいことは数年、10年に一度などでも繰り返されるものだが、そうではない。
そしてその被害者、「お笑い発想拾う気マンマンアンテナ高感度」の方々。
お笑いや表現をフラットに鑑賞できなくなった方々
センス勘違いで、今世の中にこじれて暮らしている、エセな自称お笑い評論家がたくさんいる。
だいたいそういうやつは金や諸々もない。
松本人志はもちろん、お金や道具がなくてもできることが、お笑いであって、歌だから
それは問題じゃないんだけど、
お笑いや表現を見て「救われた」という謙虚さを
自分のセンスだとバカ変換しないでほしい
知識の使い方を間違えないでほしい
そもそも「お笑い発想拾う気マンマンアンテナ高感度マン」はヒマなやつにしか出来ない
世の中の人は、もっと疲れている
拾う気もなく、飛び込んでくる瞬発力に救われたりする
世相、世の中の流れも関係する
それが売れるということ
優しさと発想のバランス
探すセンスっては、プレイヤーには全く向いていなく、ゼロから何も作れない。
プロデューサーとかは向いている。
憧れと適性、自己内省
自分を客観視できてないとなると、プロデューサーにも向いていないんだけども笑
探す人は、なにか表現しようとするときに、まず手本やヒントを探しに堀り掘り。
表現者はそもそも堀り堀りすることはない。
作るっては生むんだから、「掘る」作業はない。
ゼロから作るんだから、当たり前。
結果として作ってみたら「なにかの影響が出ている」
それも当たり前。
でもこの時系列がとても大事。
だが、例外がある
ヒップホップ、サンプリング精神だと思う。
お笑い、音楽、アート
センスはチャレンジして、
ステージに上がった人にしか身につかない。
しかもステージに上がるということは、
「相手がいる」
お客さんと接続して、表現する、鑑賞してもらう
迎合するという意味ではない。
表現=チャレンジ
それは適性。
適性がなくても
「好き」なんだったら趣味で楽しめばイイ。
でも正しくセンスとしたいならば、
「謙虚」がなくちゃならない。
そしたら、ステージに上がらないなりに、妄想想像して、少しは正しく評価できる
「いや、俺は謙虚だよ?ゆずれるし、人の話は聞けるし、控えめ」
「逃げ」と「謙虚」はまるでちがうのね、バカもの
一般的に、受験や就活
挑むステージが数回あるが、ずっとステージに上がらない人生
それは適性なので、他力思想であれば、全然イイ。
ただ他力思想なのに、お願いされたことをやらなかったり、ご縁や感謝を感じていないと、他力からも見放され、無謙虚
ムケンキョって笑
逃げはただ自分を愛し
謙虚は他人を思いやる
「俺は思い遣っているよ」
そう見えて実は、自分より不遇な人としか付き合わない。根幹に見下しがある。「自分よりかわいそうだ」と。
バカにされ生きてきて、劣等感から、逃げて自分で自分を愛するようになる
「オフェンシブ」からは逃げて、
人を傷つける「攻撃性」だけ持っていく
当人、自覚はない。
「いつか見返してやる」
その気持ちを
「オフェンシブ」に持つのか
「自分を守り、人を傷つける攻撃性」に持つのか
センス勘違いのプライドを捨てられずに、こじれられても。
「俺はセンスあるんだよー、認めてくれよー、受け入れてくれよー」
甘ったれによって、作品納期だ幽霊賃貸だ、人に迷惑かけても
誰にも叱られず。
仮に言われたとしても受け入れないのに、他人に叱られ待ち。
叱られてる場合ではないし、
少なくとも、叱られ待ちしてる歳ではない。
証拠に、話し慣れなくなってきてるのか、語彙が出なくなってきている。もう老いてきている。
「そんなん、1番イタイアマチュア精神だから、付き合わないほうがいいよ、疲弊してしまうし、時間がもったいない」と周りからは言われる
確かに疲弊はする笑
んでも、
ウチのばあちゃんは、
誰もかれも、いくらイタイやつでも見捨てたり突き放したりはしない性格
ばぁちゃん史上、1番クソな相手ですら、
「肩揉んでくれてイイ人だった」
と言っていた