なぜに書かなくなったのか
信達三十三観音をまわったら、
野暮な流れに違和感を覚え、
空とドーナツを意識するようになった
色即是空の「空」、「色」
ドーナツの側は流れる川
穴は空
表現は、
どんなドーナツが食べたいか、そんなところ
夢中になるということ
ズームとアウトのような、
そんなことを気にしたときにはもう、流れる川に戻っている
表現は一瞬
それすらいずれ捨てるのだけど、
「語る」っていうのは、なんなんだろか
ラジオにせよ、ブログにせよ、SNSにせよ
アニョ、、
独り言に縛られて、
そう考えていることはシュシュシュのシュ
主観と客観のバランスが悪い
干渉しないふたりごと
ドーナツの穴はからのぞいて見ればいい
甘えの構造から言えば、
独り言とは、そもそも存在しない
孤独とは、感じるだけで、存在しない
本来「ドキュメント」っていう映像作品はない
という感覚に近い
唯一、嫌いで食べれないドーナツ
それほど嫌いなら、裏返して見つめる価値がある
食べれはしないが