つまらないに地上のウソ -山崎明保ブログ-

福島のSinger,Songwriter 山崎明保のブログ

「甘えの構造」 土居健郎

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めっちゃイイ本だった。

 

対人関係の根本は、「甘え」

そして、日本人にとってのそれは、特異なものであるということ。

 

読んで、とても清々しくなった。

 

個人的結論は

「甘え」の総量は万人みんな、同じ

 

「甘ったれ」は悪いことじゃない。

人に優しくなれたり、心を許せたり

世代間の価値観のスレとかにもよい感性をくれる本

 

対人で、まっすぐ甘えられる人

 

そうはなれず、

「甘えないよ」という甘え方を結果してる人

正しさや自分の欲に寄りかかってしまう人

偏見などもそういうこと

 

人に会ったときに、どういう甘え方をしてる人なのか、感じれるようになったな

 

今までも見えてることはあったが、「甘え方」として受信すると、心がとても気持ちよい

 

仮に甘え総量が同じなら、人の違いは

甘え総量の「表し方」、「甘え方」に個性が出るということ

それがパブリックという感性がある欧米か、

空気を読む日本人か

それでも出方が違う

 

ちなみに、「自分を出す」「自分を持ってない」とかそういう表現は日本独自のよう。これはネガティブな意味

 

考えさせられたのは

甘えの一側面と言える「無遠慮」

 

1番親しい人に「無遠慮」

そして、

「もう一生会うことはねぇだろーなぁ」という

1番縁遠い他人にも「無遠慮」

 

真逆の相手に

同じ無遠慮笑

興味深い

 

対極の間にはどんな違いがあるんだべ

 

甘えについて自分は、

甘えの表し方が特に独特

そしてヘタ

だからデブ笑

 

もう気づいたから変えるけど笑

運動して痩せるとかそういうことでなく

 

「直す」ではなく、「変える」と言ったのは、

あくまでも甘えの総量は変わらないから、

そのバランスを「変える」というだけの話

 

人に素直に甘えて、

ひとりのときに厳しくあろうかなと

 

「ひとりのときに厳しく」というのは、孤独が必要な表現時のことで、

その他は、自分はなくていいし空気でいい

 

むしろそうでないと、メリハリをつけないと

厳しく濃く出来ない

 

今さらだが、甘えの前提は、

他者に対してのもの、無自覚、愛情表現

 

自分で甘え方に気づいたときには、それはもう「甘え」ではなく、「あざと」

 

「甘え」がステキに見えるかどうか

 

それが「粋」かどうかなんじゃないかな

 

自分を自由に泳がすのが「甘え」

 

それに対して、

おいー、ちょいちょいー

 

と、自分にツッコミを入れるようなことが「粋」

 

ボケとツッコミ

おもしろい漫才師のボケの人っては、

性格を素直に活かしたボケをしてる人だったりする

 

自分の甘えに気づいてくれている人たちには、感謝しないとならない