つまらないに地上のウソ -山崎明保ブログ-

福島のSinger,Songwriter 山崎明保のブログ

ゲームのたしなみは、のらくら

結局はウサギとカメなんだな


あまり課金はノラない自分としては、

「のらりくらりが1番幸せ」


という結論


なぜ自分は「のらくら」が1番なのか


無課金でも結局、

自分のゲームデータは強くなっていっている


となると、

極論ウサギとカメ


速さが、早さが!欲しくて、お金を使うか


かなり緩やかだが、

上昇感覚が幸せ

長ければ長いほど、幸せが長いことになる

自分はこちらの価値観


どうしても

思い入れがあるキャラクターや選手がいたり、

技、武器があったりして課金する人もいる

それは上昇とはまた別の幸せ

 

アニメもそうだけど、ビジュアルデザインや声優さんの力は偉大

リアルなサッカー選手とかも、そもそもスポーツは偉大


無課金でゲームできてる人は、

課金の人たちのおかげで無課金でゲームできているわけだし


みんなで生きている感覚がゲームにはあるんだねー

裾野が広く、素晴らしい空間でもある


どういう価値観で、ゲームとの距離感を決めるのか


自分は気晴らし

つまりは、ストレスがかかるようなことは何もしたくない

気晴らしが目的ならば、本末転倒


ストレスがかかるようだと、「のらくら」の距離感、価値観から反している


ゲームも生活の一部ではあると思うけども、

現実生活に支障が出続けることはさすがによくない


支障が「出る」ことは、そんなに問題じゃない

人生自体そう


でも「出続ける」のは、よくない


というのも、

ゲームというのは、

「やめるか」「続けるか」という選択が常につきまとう。


昔のテレビゲームで、子供がやってる分には、

親や家族の目があって、自然と制限がかかる


今はいろんな端末でゲームができて、かつ大人でゲームしてると、制限はない


ある意味、1番大人かどうか試される笑


しかも、すごい頻度で試される笑

 


「やめるか続けるか」

 


いや、もうちょっとここまでやろう

と自分に甘えて負けることもある


でも、「負け続けて」はだめなんだよなぁ


ここが大人として、試されている笑

 

自分の感情を常に「捨てる」感覚を試されている。

それは仏教的な、空と言える部分もある気がする

 

執着している人はやめられない


いわば、センスの鮮度に似ている


なんでも、「同じ状態ではだめ」


同じ内容で、支障が出続ける

同じ内容で、負け続ける


自分のセンスがホコリかぶっていく


点として、負ける、支障が出る

のは問題ない


もちろんウェルカムじゃない。

負けや支障がほしい人はいない。

でも問題ない。


なにかが続くこと、長い期間同じ状態というのは、おおかたよくない。

 


例外は家族

家族はずっと同じく、ずっとそばにいたいよなぁ

 

家族の中で、のらくらと、ゲーム出来てたら

のらくらと、しゃべったりボーッと出来てたら幸せ

 

そのためにも、アツく働きましょかぁ

 

しょかしょか!