つまらないに地上のウソ -山崎明保ブログ-

福島のSinger,Songwriter 山崎明保のブログ

スマホを捨てて、ベンチに座る

1/1からの石川県を中心とした地震で被災された方々、お悔やみ、お見舞い申し上げます。

 

年始はポッドキャストから始まりました。

https://anchor.fm/yabo-labo/episodes/149-2024-e2e038n

 

作詞について、

心持ちというか、心の置きどころがしっくりこない。

 

ひとつの検証として、

スマホを捨てて、ベンチに座る」ことにした。

 

一言で言ってしまえば、散歩

 

んでベンチで書くというだけ。

 

歩いて1分

「んー、もし今止まって書くことにしたらキツイなぁ、そんな気にならん」

 

歩いて10分

「ちと足のバスケケガが気になるから、止まりたいなぁ」

 

ベンチに着席、書きました笑

 

書く量と、所要時間は理想的で、とてもよかった

 

結果、往復1時間くらいだったけど、

もっと長く感じたなぁ

ゲームする1時間とは、えらい違い

 

今日やったことは、「書くための環境」として自分に合ってるものを見つけた

 

だけで、そもそもの「詞を書くこと」

について考えないとならないなぁと、

根本にぶち当たった

 

詞ってはなんなんでしょう

 

今までの自分なら、

ずっと考えて頭でっかちな、

いかにもな答えを、男性っぽい答えを捻り出すところだけども

 

書くための環境に身を置いて、少しずつ削り出していこうと思う。

 

明日はまた少し近づける気がするし、

そう遠くはない。

べんべべべんべんべん

ふくしまのBGMになるようなアルバム

 

自分の音楽を置きたい場所

 

そこにどんな風が流れてほしいのか

 

そういうイメージの作り方でいきましょう

 

具体的には、

ベースだな

 

いつもならギターと鼻歌なんだけども、なにせそのテーマとなるような場所には、そんなに「言いたいこと」があるわけではない。

 

ベースっては、リズムもあって音もあって小節感覚もいる

音楽の最小単位みたいなもの

 

音を出してみて、

テンポが合わなければ

グルーヴが合わなければ

スケールが合わなければ

進行が合わなければ

先に進まない。

 

今日は午前中、一つ試作ができた。

 

作ろうとしてるもののイメージが日中だからか、

夜に取り組んでみたら、なにも浮かばなかった。

 

日中外でもやれそう

 

普段、作業の時間をだいたい3回作る

1回2〜3時間、それ以上は非効率

午前、午後、夜

それぞれに適した作業があって、

その作業に合わせて観てる映像とかもある

 

詞は映像観ながらはできない

 

すべてではないけども、だいたいが映像を想起させるものが詞だもんで

 

前述で「言いたいこと」がないと言ったけども、感情としてのベクトルが少ない。もしあったらBGMになりづらい。

でも、それならそれで、言葉の置き方が変わる

 

少し空間を飾るような

論理や摂理のない置き方

 

あっちにポイ

こっちにポイ

そんくらいでイイ

 

戻って曲のこと

 

ベースラインから作るわけだから、

ベース弾いてみたが、やっぱ和声感感じづらい。

ライン考えつつ、コードも考えたい。

そういう意味で、

途中ギターのニュアンスも欲しくなるから、結局ギターでベースライン考えるスタイルで落ち着いた

なるほど、ヘクトパスカル

ふくしまの店でBGMに使えるアルバムを作ろうと思っている。

 

どの店でも使えるように

(本当に使われるかは知らん)

 

いろんな店があるが、

1番ハードル高いのは、うわさだな笑

 

でも横江がやってる店だし、

常連ではないけど、親近感はある

 

ほしい万風パンツも1つある

 

自分が好きな、世話になってる店は

すべて同じムードなわけはない

 

でもこの街にあり、この街で暮らす人がやってる以上、同じ要素もあると、信じている

 

この街でいろんなBGMを聴いてると、その中にヒントはある。

それはもう十分なんだけども、

作り方が分からん

 

最初のとっかかりが難しい

編成はなんとなくイメージできたんだけどなぁ

 

遊びを含むという意味で、

捨てる気で作らんとなぁ

 

作ろうとして雲行きあやしくなるときは、必ず「イイ曲作ろうとしてるとき」

イイかどうか判断はあとでするもので、それは肩書きを変えて別の日に。じゃないとアタマが固まる。

 

最初のとっかかりがなぁ、

迷いがあるというか、イメージが定まっていない部分があんだなぁ

 

お客さんとお店、点と点に対して、

音楽という3点目

なんだけども、

線を三角形にするとかそういうことではなく

 

お客さんとお店の関係

その空気をよりよく回すような

 

そういう曲を作りたいし、

そのように、うたい弾きたい

 

自分はお客さんでも店でもないわけだから、どちらからしても、異物なのは間違いない

 

なにかに同調するだけでは、いる意味がない。

場の空気が回る異物になりましょう、来年は。

 

そういえば最近「威圧感が全くないけど存在感ある」

と言われた

とても興味深いコメント笑

相反している、、ような

 

威圧して存在感だしたら、昭和パワハラ野郎になってしまう

まぁ、そんなことはどーでもいい

 

空気が回るような、

それはいわばー

 

ドキュメント感

セッションとも言えるけども、自由度の塩梅を考えると、ドキュメント感というのが、1番近いような

 

作りきったものを再生するだけでは、ライブの良さも半減だし

かといってその場で完全即興にしたら、正直過ぎる

 

同調するだけでよければ完全即興でもイイ

でも、

異物として、しっかりそこで空気を回すために根を生やすには、おおよその準備は要る

 

それはライブの話。

 

今悩んでいるのは、曲だった笑

 

作るとして、CDとしてBGMで聴いてもらうとして、

空気をまわしわしわしわし、

サーキュレーターみたいになるのはどんな曲か

 

んー

 

はっきりしてるイメージは木

 

そのイメージを、

編成と、歌詞と、声でどう作るのか

 

その中で、どうにも変えられないものは、声

俺の声は、木のイメージ、、ある、、か??

 

ねぇな

 

遠くはないけど、木自体のイメージはない

 

編成と歌詞で、木のイメージを。

作れたら、その木をかるく揺らすことくらいはできるかな笑

 

店っては、どういう風が流れているんだろう。

だいたい無風に近いところが多い。

あくまで近いだけで完全な無風じゃない。

 

無風にすることで、

時間の流れがゆったりになるような効果があるんだろう。

ゆったりとした気持ちで、飲食したり、モノを手にとってほしいんだね

 

そういえばハシドラで、

ドラムがリーダーの攻めたジャズ流れてて、アルバム丸っと流してるっぽかった

 

あれは強風だったな笑

好きな感じだったのでシャザムザムザムザム

 

「どんな風が流れたら、その店にとって自然か」

か、

 

おー、わるくなさそう

2023年の空cafeマーケット

2023年

春と秋

 

空cafeマーケットでの弾き語り

 

うたうふらっと、BGM仕様のLIVE

 

春と秋、同じ緑色でも雰囲気が違うもんだなと思った

 

「春と秋、というか、毎日色が違うんですよ」

オーナーにそう言われて、そもそも確かに。

そういうもんだよな、音楽だってそう。

 

ふくしまには、ギターの音が合いやすい

 

ギターは他に比べて、距離が近い楽器

音色、持ち運びの手軽さ

 

豪華なものではない

ピアノのような、きらびやか、力強さみたいなものはない

 

そこはかなとない美しさ

そういうものなんじゃないかと思う、そもそもは。

 

そう思うと、

自分がお世話になっている場所は、

その理想を形にしたようなとこばかり

 

在るものの良さと、共存するアイデア

 

その気持ちに共感、同意して、うたい弾きたい

 

季節なんて大きな変化だけじゃなく

毎日は新しい

朝は新しい

 

にしても、緑がなぁ

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春の緑は、新しさ、夏へ向かう力

光る命を感じたけども

 

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秋の緑はなんかー、凄みがあった

鍛冶屋さんの真剣そのもの、眼差し、作業中のオーラのような

 

冬への支度は、そういうものなのかな

命が懸かっているよな

 

夏へ向かう命は、笑って走っていくような

冬へ向かう命は、静かに激らせるような

 

凄みに負けてしまったな

 

でもカーペンターズという選択はとてもよかった

カーペンターズの、そこはかとない感じ、ぴったり

 

曲はそこはかとなく、エヴァーグリーンなんだが、

コード進行はなかなか、考え抜かれてるというか、メロディに従順かつ、よい進行役で素晴らしい。

 

次もしも呼ばれたときは

秋の凄みと仲良く、うたい弾きますよ

 

 

 

GASUYAに花を

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近所の家が取り壊された。

 

我が家では、通称ガス屋と呼ばれていた男が1人で住んでいた

GASUYA

 

ガス屋なんだが、たぶん無職

仕事という仕事はしていない

それ以上の由来は割愛

 

無職のGASUYA

 

ずっと1人で、いろんなとこをうろうろ歩いていた

スーパーとか街とかうろうろうろ

ときには、コインランドリーのベンチだとか

 

赤い服でメガネかけてて、変な帽子をかぶっていたから、すぐ分かる

 

服装や行動から、ずっと1人でとても寂しいんだろうなぁと思っていた

 

俺がちっちゃいときは、ここでGASUYAは見てなかったから、そんときは親とかが住んでたのかな

 

今年のとある日

最近、GASUYA見ないなぁと思っていたら

 

パトカー2,3台

ドラマでしか観たことない、鑑識と思われる警察官とかがいっぱい来ていた

 

病でGASUYAが死んだらしい

葬式もないし、周りで誰もなにも知らない。

「らしい」ということ以上は分からない

 

すっと消えた

 

なにもなくただ消えた

 

独りってはそうだゎな

見送る人がいないってはそうだゎな

 

なにも振り返れることはない

たまにする挨拶以外、話したこともない

 

でも悲しかったのは、その後の速さ

 

すぐにスーツを着た不動産屋みたいなのが来て

いろいろ測ったり、電話で段取りしてたり

 

そうかと思えば、また別の人らが来て、

家の中のものをすべて外に出して放り投げた

 

カラカラになったかと思えば、

ユンボユンボ

すぐぶっ壊れて

基礎までぶっ壊れて更地になった

 

ひとひとり住むのに、こんなに物があるんだなぁ

ひとひとり住むのに、家ってはこんなに柱があって、家を作れる人間ってすげぇなぁ

 

こんな立派な作りの家をわずか数人でぶっ壊せる

しかもあっという間

人間ってはすげぇなぁ

 

人間ってすげぇ

 

もうなにも残っていない

なにも振り返れることはない、

たまにする挨拶以外、話したこともない

感謝することもない

他の近所の人も話せるエピソードはないだろう

 

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このブログを手向けの花としたい

 

GASUYAに花を。