つまらないに地上のウソ -山崎明保ブログ-

福島のSinger,Songwriter 山崎明保のブログ

思い出のガッコウ 母校じゃないけど笑

思い出のガッコウ

 

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からの景色

 

というのも、ここは母校ではなくて、四中

 

大人になってから初めて来ました

しかも夜

 

バスケは

10才〜16才 部活で。

大学時代ちょっとで。

26〜30歳 大鳥中で。

なぜやんなくなったか記憶がないまま6年以上空いて、

37歳から再開して今やっともうちょいで1年

 

まだふかしてドライブとかは出来ないけども、だいたい戻れるところは分かってきた。

しなくちゃいけない柔軟と筋トレも分かってきた

まぁそれはイイとして笑

 

この四中。

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20年以上ぶりに来たことになる。

 

隣学校である清水中は、

1番練習試合に来てた場所。

四中は公式戦も会場になってたしなぁ

 

この建物の作りも、かすかに記憶があり、

体育館近辺、どっから土禁なん??

という感じもやや記憶あり笑

 

四中に試合しに来ると、

グラウンドで部活やってる人眺めて、

「あ、同級生のコだ」「あ、同じクラスだったカトぺ、マチャアキだ」

とかめっちゃ嬉しくなっていた

 

俺の出身の森合小は

学区的に、

8割くらいが四中。

余りが清水中笑

 

に分かれる。

 

森合マイノリティの俺は四中に試合行くのが、アウェイな感じがしませんでした。

 

そもそもバスケで四中と対戦しても、スポ少時代の先輩や後輩もいるし。

 

今現在、

再開して1年くらいのバスケで、

4チーム?入ってる山崎ですが笑

 

5つめの場所にして、

1番思い出のある体育館に来ました

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もちろん試合もしたけども、

上のとこに荷物置いて昼メシ食ったり試合観てたりしたなぁ

 

リングは当時のまま変わってない感じしたなぁ

 

バスケで出会う人たちってはみんなおもしくて、

バスケを通して人を観れるということ自体もおもしろい。

スポーツそれぞれそうですよね

 

セッションとかすれば、音楽もそうだけど

目切り

作詞には、目でシャッター切る感覚

 

そのとき自分はどういう状態なのか見つめる感覚

 

が要るよう。

 

 

目でシャッターを切ると

時間を止めることになる

 

でも止まった時間の中で、

自分がどういう状態なのか、、

思った先がそうならば、心は動かすことになる

 

時間を止めて心は動かす

 

今日なんかは、めちゃ寒いから

歩いたことは歩いたけども、

その場では書かず、

目切りして、持ち帰って

家で書いた

 

めちゃ寒いっつってもー、

年々ヤワになっていっていますよねー

 

歩きベンチで書くのは、日によってになったが、

毎日1作以上つくることは、習慣づいてきた

 

曲も1作以上、、

 

と言っても、それぞれ断片みたいなもんですが。

 

ー詞、一節

毎日欠かさずにやっていると、

とても調子がいい。

 

調子がいいからやるのか

やってるから調子がいいのか

 

どちらもある

 

問題は自分に合ったやり方を見つける、セルフプロデュース力

もしくは、他人に見つけてもらう、きっかけをもらう柔軟さが要るよなぁ

それ自体もどちらが自分の性格に合ってるかによる

 

話戻りまして

 

一詞、イッシ、イッシ

 

一節、ヒトフシ、フッシ、フッシ

 

それぞれの断片をかけ合わせる作業に入る

 

うまく調合できれば、良い曲になる

 

クレジットには

作詞、作曲だけだが、

調合は誰が先導するんだべ

 

まぁどちらか「先に作り切って」ってやらないと、仕事として効率悪いんだべな

 

ヤマタツさん曲と松本隆さん詞とかで、イッタキタしてー、みたいなのはなんかで読んだから、ちょいちょいあるだろうけど、一般的ではないだろなぁ

 

調合は、フリーランスのうたうたいの特権

 

調合は結構テンション上がる作業だったりする

流川と仙道

 

「1対1もオフェンスの選択肢の1つに過ぎない。

それがわからねえうちは、

 


おめえには負ける気がしねえ」

 


そりゃそう

バスケはチーム5人で戦っていて、1人の役割はあくまで

 


5分の1。

 


20%

 


シュートしてゴールがオチだとしたら、

 


5人で「フリ」を作って、そのうち1人がシュート。

 


さらには1on1でも、パス、ドリブル、ピボット、シュート

4択はある。

つまりシュートはさっきの確率と合わせると、たった5%

 


さらに

試合での、アテンプト、試投数を考えたら大変なことになる笑

 

結局、赤木も流川も同じ壁にぶち当たる。

個で負けたとしても、チームでは勝つメンタル

 


「フリ」を作るとは、シュートと同等の価値がある。「創る」と言っていい。

 


「フリ」の大変なところは、

対峙した相手にこっちのフリをしっかり伝えなければならない。

 


じゃないとオチの威力が出ない。

 


でもそういうのを無視して個人技だけで、シュートまで持っていける天才もいる。

でもその天才がいるチームはあまり優勝しない。

 


その強引さ、圧倒的さに憧れる。

夢があるし希望もある。

 


でも一緒にプレーしててみんな楽しくない笑

 


自分の力が発揮できているのは、周りが合わせてくれていることに気づいてなかったりする。

 


ーーーー

「世界一のおもしろい人になりたいと肩肘張ってた時期もあったが、世界一おもしろい人とは、世界一おもしろくない人。僕は世界2位にしかなれない」

ーーーー

 


ドキュメンタルで松本人志が言っていた。

 


これはフリとオチを同等に評価した結果といえる。

 


オチの「発想」に注力してきた人だからこそ、言えたこと。だからといって、社会の中で道徳の許容が広くなるわけではないが。

 

圧倒的な発想が浮かんだとして、

それで笑うのは自分ではないということ。「圧倒的」という評価は自分がつけられないということ

 


これを体現した場面は、ドキュメンタル2で、

小峠がただ出てきただけで、周りが笑ってしまうシーンとか

 


長州力が出てる回で、長州がお笑いマナーに全然ノってこない会話をずっとしてるとことか

 


大喜利での「フリ」とはなんなのか、

解答者の性格だと思う。何者か分からない人でも、見た目と声から視聴者は想像する。

 


見た目を全て隠して、声もみんな同じにして、

発想だけで勝負したらどんな番組になんだべか

M1もそうだけど

 


M 1で審査員が今大会の「瞬間風速」という表現

 


フリっては

大喜利じゃなくても、芸人じゃなくても、

平場での会話も同じ。

 


自分がどう見えているのか、分かっていると、

それがフリになって裏切りオチがつけられる。

 


性格をフリにしなくても、

日常会話したら、それがフリになったり。

 


そこでプライドだけ高くてお笑いから逃げる人は、お笑いやってるつもりで「和ませ」だけやってたりする。

 


ドキュメンタルのフジモンのような。

お笑いの要素として大事だし、愛はあるが

「ステージ」には上がっていない。相手の笑いのツボに勝負していない。

 


ひよって、逃げ癖がついている。

 


自分に合わせろと。

高度な発想についてこれないお笑いレベルの低いやつだと、

ヤンキーの絡み方と根本は同じ。

 


その問題、解決策はとあるセリフ

ーーーー

「それはそっち側の問題やから」

ーーーー

さっきの「自分に合わせろ精神」とは似てそうなセリフだが全然別物

 


このセリフは、

俺が見ているお笑い、コント・ラジオでしばしば聞く。

 


「主観と客観」の使い分けということ

 

 

 

 


「お笑い」って、誰がして、誰が笑うものなのか。

笑わせる人と、笑う人ーーーー

まぁ、独りで自分を笑わせて楽しんでる人も世の中にはいるのかな笑

 

 

 

ただ、圧倒的な発想というのは、

誰でも気づけるものじゃない。

ずっとアングラなものも掘り続けて、

本当に好きじゃないと気づけない。

「新しさ」には希望がある。

 


「圧倒的な発想に気づける能力」と

「人を笑わせられる能力」は別物で、

 


発想探知能力を持つ人は稀。

 


でも活かし方がとても難しい。

んだって、周りは気づいてないワケだから笑

 


平場でもステージでも、圧倒的発想をひよらずに繰り出す人。

そのかっこよさを伝える伝道師になれるのは、探知能力を持った人だけだな。

ひよって自分にはできないと、認めてリスペクトしないとできないことだが笑

 


伝える方法が、HIPHOPのサンプリング精神的な。

音楽や絵、アート表現物だったら、みんな嬉しいね

 


DJも、素敵な音楽掘って、

ステージ立って、平場でMCして、

きてくれた人たちと、フリオチの関係で進んでいってる。

 


それでいうと、

作品を作るだけだと、ライブや平場がない。

 


作り込めるメリットはあるが、フリを作るタイミングがない。

 

 

 

、、

か?

 

 

 

いや、ある

 

 

 

自分の作品で、フッて、

 


自分の作品で、オトす

 


未完成のものを発表した方が、フリになりやすいか

 


と、大雑把ヘタダサな自分への言い訳をして笑

 

 

 

作品作って、人に会う

 


1番幸せなこと

 


人に会うわけだから、

相互に見て、相互でフリオチ楽しむ会話を

 


そんな作品を。

スマホには降参

スマホには、もう降参

 


作詞にはテンポがある

感情にはテンポがある

 


生きてれば、絶対に抗えないテンポ

 


心臓

 


の鼓動

 


歩いているとそれに近いらしく、そのままどっかベンチに座ると、書きやすい

 


今日はチャリ移動だったが、やっぱムリだった

 


いくら遅くこいでも、ムリ

 


その時は、目に留まったことを意識でシャッター切って

 


ベンチに着いたら

その場面について、書く。

 


まぁテンポに関しては、いくら大人でも調子こいてる時もあるからそういう時はチャリや車のテンポでも書けるとは思うんだが、

 


シャッター保存、賞味期限はどなくらいなものなんだべ

 


ここはスキルだとしたら、日常でカメラ撮影をしないことだな笑

 


んでも、写真も興味あるから、

なにかテーマを限定して関わっていきたい道具です。

 


スマホ置いて出かければ、

オフラインになり、

もともと生きてきたスタイルに戻れる

 


写真も撮らなくなり、俳人のように、言葉と行間で残すようになる

 


でも事務的仕事では、

創作物の一部分では、

 


頼らざるを得ない。

 


スマホやネットSNSには、降参してリスペクトして使わせていただきます。

 


使う前に、

スマホに向かって手を合わせてから使おうかな

 


スマホ用のベッドもいるか

キョーコ

いや、キョコウ

 

作者としての虚構

 


受け手としての虚構

 


それはまったく別モノ

 


それでイイし、それがイイ

 


でもその作品の中に1つくらいは、

互いに分かる虚構があったら、なおイイ

 


そこには絶対に、遊び心が必要

 


それは希望でも愛でもある

ナルホド

なるほど

 


作詞はドリップするコーヒー

 


作曲はバスケ

 


なんだな

 


スマホとの距離感ってはとても難しい

スマホは賢すぎる

 


つまりは効率的で「速過ぎる」

 


おかげで1人でコスパを上げて仕事ができる

 


でも「感情にとっては速過ぎる」

 


おっつかない

 


そのテンポで生活してしまうと

感情は取り残される

 


感情を読むことも表すこともできない。

 


仕事に表現が含まれる人は、感情と効率。両立しないとならない。

1人で運営するなら尚更、スイッチングしなくちゃならない

 

 

 

ネットやSNSにあるのは、感情ではなく

 


 

 

 

健全に使っている人は、ちゃんと距離感を掴んでいる人

 


それにしても、

 


虚構の入り口は、とても希望に満ちている

 


朝のような場所だ

スマホ捨ててベンチ座り3日目

虚構の入り口

 


視覚から、点と線からダジャレをしたり、見間違えたり

 


聴覚から、例えたり、聞き間違い、勘違いをしたり

 


書いていて、書いた言葉や文に対して、少しズレたことを付け足したり

 


自分が遊び心を持っていたら、入り口はふと現れるものなのか

 


書いていった言葉たちを「動かそう」「流そう」とする心が虚構への入り口の通門証なんじゃないか

 


言葉も生きているんだな

呼吸させてあげられるかどうかは、書き手次第か

 


スマホ捨てベンチ座り3日目

 


いや、さみぃ

 


シンプルにさみぃ

 


寒ければ寒いで、

自然と早く書き終われるだろうと

 


あと「厳しい環境で書いたら、何か新しい収穫でもあるか」と期待したんだけど、

 


早く書き終わって、さみぃだけ

 


とはいえ、日に日にわかることが増えてきたし近づいている。

 


そもそも毎日書かないと、読まないとダメなことね、そーね

 


ギター含めてもルーティンとして、そんなに時間かかることじゃないから、とても良い。

 


曲の生産性も良い

 


生産性というと品がない笑