現代の「普通」は、
「打たれ弱さ」です。
普通は、
「正しい間違ってる」「うまいヘタ」などを生みます。
対義語は、
「個性」です。
「好き嫌い」「楽しいつまんない」などを生みます。
本来、順序
人は全員分だけ、個性があります。
「みんなで共生しないとね」
対話をします。
そこから「普通」が生まれます。社会や常識も生まれます。
その順序を、本来を、
現代は忘れがちです。
普通について考えるとき、
分かりやすい言葉。
「みんな」です。
なにかで非難された当事者は、「だってみんなこうしてるんだもん」と言い訳します。当事者自身を含んでいます。
逆に、
誰かをムリヤリ説得しようとしてる人は、「みんな普通はこうするんだぞ!」と言い、
言われてるということはその説得対象者は出来てないわけで、
ムリヤリ説得しようとしてる人が言う「みんな」には、対象者を含んでいません。
同じ言葉なのに意味が変容しています。
矛盾しています。
つまり
普通やみんな、当たり前とは、
口にした時点で、真逆なものですね
世の中に、「普通」や「常識」は存在しますが、本来対話前提で「感じる」ものです。
例えの状況は、
わがままという主観の上に、普通や常識という客観を語るという、とても矛盾してる行為でダサいです。
ただ、私も普通や常識を「感じる」ものだという、、ある種
言語的には主観と客観が混在し矛盾してるかもしれません。でも後者の方が粋だと、品があると、思います。
山崎明保