つまらないに地上のウソ -山崎明保ブログ-

福島のSinger,Songwriter 山崎明保のブログ

主観的で合わせられず生きる人は

主観的で合わせられない人

 

この言い方だと、貶してる表現だが

 

言い換えると

他人を動かす力がある人

 

結局、周りが合わせるわけだから、

周りは動いている

 

ピーチクパーチク言ってるだけに見えても、結局「しゃあないな」と周りが動く

周りは、「あいつは言っても聞かない」「何にも努力していない」と文句を言う

 

そういう対象は家族や企業、人が集まれば必ずいる

 

合わせる人と、合わせられる人

ここに人としての優劣はないが、

努力の見え方が違う

 

合わせる人は、

どんどん自分の形を変えるなりして、

当人に合わせていけばいい

見えやすい

 

合わせられる人は、なにをすればいいか

 

自分が好かれる努力をする

愛される努力をする

合わせてくれる当人には直接向かない努力の仕方

見えづらい

 

でも結果、合わせた方は気持ちいいものだ

 

どうせ素直に「ありがとう」なんて言葉は言わないんだからw

 

好かれる、愛される努力

見た目でもなんでも良い

 

主観的で合わせられず生きる人は、それだけで充分

 

合わせる人を喜ばせられるのは、合わせられない人たち

 

ちなみに、合わせられない人たちにとっての

「好かれる」「愛される」とは相手に合わせることではない

 

そして、合わせる、合わせないは、コミュニティが変われば、立場もスコスコ変わる

どちらにもなりうる

 

というか、

長年連れ添ったパートナーの場合、

長い時間一緒にいる中で、

いつのまにか「合わせる」「合わせられてる」の立場が逆になっていくのではないだろか

 

ダウンタウンの松ちゃん、浜ちゃんが

ボケとツッコミの要素が逆になってくみたいに

 

人はどちらの要素ももつわけだが、

どちらの意識が足りてないかは

都度気づきはあるほうがいい