嫌われる覚悟を持てるか
とある域まできたら、必ず壁に問われる
ただ、ここで「嫌われる」ということがどういう定義なのか
私が思う本当の「嫌われる」とは
「スルー」されることである
たくさーんフォロワーいて、
たくさーん非表示されてる的な笑
ヤンヤヤンヤ言われることは、嫌われてはいないと思う。
広告について
なにかとコラボする、安易なイベントをするとか手軽な話題性でフォロワーを獲得する
上記のようなことをお金をかけてやるとか
やるにしても、スケジュール、お金についてルーズだったり
同じ案件について
当人は「些細」、相手は「大事」
信用のズレが生じてきている
これは結果、まず同業者に嫌われるw
同業者とは事業主のことである
フォロワー、売上に対しての露骨な最短距離を選んでいるからである
数字を気にするなら、安定してる職についていればいいだけ
なにかしらの「志」があるから、事業主のはずである
なのに、その「志」が一番前に出てないような広告的動きをしていると、嫌われてしまう
こじれている
これのタチの悪いとこは、嫌われてると「今、君嫌われてきてるよ、嫌われがちだよ」なんて誰も言ってくれないところ
そりゃそうだ、嫌いなんだから笑
口を出すのは愛情がないと出来ない
当人はあまり気づかないことが多い。静かに周りに人が少なくなってきていること。
そして、進言する人が周りにいても、煙たがり目を背けて終わることが多い。
逃げて解決することはない。
自粛もそうだぞ、宮迫
youtubeも結果、逃げだぞ宮迫
すんません笑
そして広報
自分の本道について
自分からバカになり、検証しトライする
自分から愚直になり、追求・信仰する
アイデアを出す、楽しむ
たくさん失敗する
「ヤンヤヤンヤ」言われることは気にするもの
つまり「嫌われる覚悟」が要る
でも実は覚悟がいるだけで、嫌われてはいない
なんなら救われている
「ヤンヤヤンヤ」はツッコミだからである。
そのおかげで失敗も成仏できている。
まぁただ確かに「カッコイイのが良かったのに」という人は少し離れるかもしれない。
でも、そういう人たちは、よりカッコイイものを見つけたら結果あっさり離れるもの
SNSにある「かっこよさ」とは比較対象があって成り立つものだからである
自分が自分に満足し、充実する「かっこよさ」とはSNSの写真だけでは映らない
広告も広報
どちらに舵を切っても嫌われるなら、
自分が楽しんで、みんなが会いに来てくれる
そんな流れが理想だと思う
そんな街なら、みんな歩きたくなる