つまらないに地上のウソ -山崎明保ブログ-

福島のSinger,Songwriter 山崎明保のブログ

レコーディング22 終わった

午前中にチェックしてみたら、

 

アコギの直し1つ

歌の直し1つ

打ち込み直し1つ

 

この時点で、かなり気が楽になり、

 

午後はギター教室のポスター掲示ご協力あんぎゃ。

 

予定より時間が長くなり

夕飯どきに帰ってきた

 

食べてしまうと、集中下がるから

先に録り直し

 

終わった

 

おわったときに「おわった!!」と誰かに言いたくなる。

特定の返しはなにも望んでないんだけど、

キャッチボールがしたくなる。

 

コンクリの壁に壁打ちしても、打ち上げにはならない。

 

自分のためにグローブ持ってくれる人に、ボールを投げて、グローブにおさまる音

「バン!」

なったら、それで充分心地よいよねー

 

ストライクって言われても

ボールって言われてもイイ

 

 

レコーディングを終えてみて、

良かった点は、

・またがない

・内省の多さ、というか波の発生

・作業環境

・歌とギターのヘタさに気づく笑

 

悪かった点はない。

ほんとにぜろ笑

 

「またがない」っては、

レコーディングには、プレーヤー(演奏者)目線と、プロデューサー目線があり、

その目線を1日にどちらかしかしないということ。

1日1目線。

 

レクの日は、その音が「合うかどうか」は判断しない。

レクの日は、その音が「リズム的に正しいかどうか」それは素材の基礎・寸法として当然見極める、、

ぬ?聴極める笑、キキワメル笑

 

音が「合うかどうか」

それは曲全体のこと、ムードなので、

素材録りしてるプレーヤー目線ではなく、

 

別日にプロデューサー目線で聴く。

これを都度「データ整理」という言い方をしていた。

目線の違いのスイッチングはとても難しいので、

1日1目線。

 

そのために、1日の作業は、1目線でその日のうちに必ずこなし終えて、

次の日に別目線で、それはそれで当日終わらせる。

 

そうすることで、

最小日数、ムリなく、質も担保されて終えることができる。

1つの作業目線を「またがない」

 

「内省の多さ」

今までなんで気づかなかったんだべ。

 

まぁ当たり前だよなぁ、

録音ってはリアルタイムで、

アウトプットとインプットが同時に起きている。

 

よく「インプットとアウトプット」という順番で言われるが、

 

レコーディングの場合は、

音を出して、それをモニターするわけだから、

「アウトプットとインプット」

まぁレクじゃなくても、音楽はそもそもその流れ。

 

「アウトイン」同時だと、

自分の中に波が起きやすい。

 

そりゃそうだ

 

「ん?今のヘタだなぁ、ん?今のはうまくいったなぁ」みたいなことを常にアンテナ張ってる

 

結果この1か月、こんな22回もレコーディングのブログ書いて、

その間、他にもスコスコスコスコと、ブログあげている

 

「作業環境」

これはマジで自分を褒めたい笑

作業の分担と、それに合わせたイステーブルや機材の配置

 

そこに座るだけで、頭がそこ用のモードになる

 

「またがない」で出来たのはこのおかげ

もう少し磨き上げられそうなので、明日から掃除兼ねて改善。

 

 

「うたとギターがヘタ」

後ろ向きな話ではないです。

でも言い方が良くないな。

姿勢としては「つねに伸びしろを見極めてる」

 

ただ、

悪いメンタルだと、その伸びしろに「執着」してしまう。

 

「傷つきたくない弱さとプライド」が執着を生む。

 

執着は足を止め、すべてを滞らせる。

 

人はみんな波の中で生きていかないとならない。

調子が悪いときは、波の中で波乗りせずにパドリングしていないとならない。

 

が、執着は、人を沖にあがらせる。

 

砂浜から「みんな波乗れてイイなぁ」と眺めていると答えは見つからない。

波乗りしてる当人たちには、「波に乗ってる人」という第三者の目線はない。

 

一刻の猶予もない。常に集中してないと、自然の波に乗れない。目の前の波しか見てないし、見えない。

 

執着し過ぎると、

作品を生み出せなかったり、時間をかけ過ぎる。

 

執着からうまく離れたのも、三十三観音行ったときから。これもハッキリしている。

 

むぁ

自分の表現作品であれば、自由に時間かけたらいいが、商業性のモノ、オーダーのものは、そうはいかない。

時間の制約の中で、浮かび上がるものが、自分の個性

 

というか、なんにしても、個性は「浮かび上がるもの」

これは真理だと思う。

 

木彫りの感覚。

 

木彫りは、

作品を作ってるわけだが

 

素材があってなにかを作り上げていくゼロイチな作業とは違う。

 

無垢の木、

要らないところを削ってって、作品を浮かび上がらせる。

 

木は木目だとか、硬さが違う。

そういう木の個性に逆らわず、

かつ、自分の個性にも逆らわずに

 

折り合いがついて、違いないところだけを削いでいく。

 

手を動かしてるうちに、元々イメージしていたものが、形を変えながら、具現化していって

 

作品になる。

 

あくまでも作業は、「削ぎ」

 

そぎ?いや、「外れ」、それた笑

 

歌とギターがヘタっていうこと

 

まず歌でいうと、

自分の地の力を知ることができるタイミングがレコーディングだということ

 

作曲して出来たてホヤホヤの曲だと、メロディがハッキリイメージできてない。

 

歌い慣れた曲をレコーディングするのは楽。

次々と、音のイメージがハッキリしててピッチが安定する、音程のこと。

 

出来たてほやほやだと、その歌った回数、練習量の少なさから、

イメージ音感レベルがハッキリ分かる。

セッションぢからというか。

 

ギターは、シンプルにギターの音の間に雑音が多かったり。

普段気にしてないガサツさが、モニターで顕著に笑

 

右手も左手も、両手同時に、

いや、体全体呼吸に合わせて弾いてるんだ!

という意識が要る。

 

うたとギターがヘタ

っては、

忘れてはならないことだなぁと思う。

 

「うま」くて、お金払うのはメシだけだ

 

「この音楽上手い!!」「この絵上手い!!」

心からのリアクションで、「うまーっ!!」という感情もあるし、実際言うこともある。

 

でも、

上手さで音楽や絵を買ったことはない。

 

そういう上手さは、

出るとこ出た人が、出すべき場所に時に、出せばいい。

 

作品のうまさは、

作者が決めろ

 

俺は俺にしか出来ないヘタを極めるぞ笑

 

永遠の伸びしろを見せるぞ笑

 

伸びしろは希望だろ?