みんな暮らしてるクラベリーホーム
みんなおくらべさん
どちらが収入が多い
成功してるしてない
フォロワーがどうだ
良い悪い
みんなおくらべさん
「安く見られるから高くみられたい、自分を大事にしたい」と言う人が、
「BARで絡まれて、自分の方が稼いでる!」「お前ごときが連絡先聞いてくるのか」的なことをジョーク混じりに言っていた。
くらべることは、勝ち負けが同じ量だけ訪れる。
仮に「安く見られてる」としたら、そのものさしをもってること自体がよくない。
「そのままのあなたで大丈夫だよ」と、言ってくれる人がいれば、もっと別のステキなものさしが持てる。
自分が見上げるときは、自分に「高さ」を求め
人を見下げるときには、他人に「高さ」を求める
公務員、医療、公的な仕事してる人は、収入に対して謙虚になりづらい。
なぜか?
販路を考える機会が少ないから。
それらの職業はすべてリスペクトだし、精神的負荷も含めて、対価は高くあってイイと思う。たくさん勉強してるわけだし。
が、
当人たちは、自分らで販路を獲得してないことを考える機会が少ない。
ちゃんと自覚してる人もいる。その方々はこじれがない。
上記の仕事は、
仕事の行為を都度、自分で売り込み、価値判断されてお金をくれる。という流れではない。
収入の財源は目の前にない。
給料財源のシステムに感謝して、選挙は必ず行きましょう。
そう言う自分も、
上記の仕事をしてる人が、自分の音楽を聴いたり、教室来てくれてるわけだから、感謝に変わりはない。
ただ、上記の仕事はこじれやすい。
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こじれなくとも、
精神的な勝ち負けで、ウツウツとする人もいる。
勝っていると安心するんだろうけども、
安心する場所は勝たなくてもみつかる。勝敗でメシ食ってる人は別。
頑張って取り組んでる瞬間に限って安心をみつけたり。勝ち負けに挑んで、挑んだことを聞いてくれる人がいることで安心したり。
みんな暮らしてるクラベリーホーム
みんなおくらべさん
社会で生きてる以上、みんなで生きてる以上、
比べないで生きることはムリでしょう。
あの人、ゴタゴタあってバスケ来なくなったなぁ
あの人、ゴタゴタあって、ライブハウス来なくなったなぁ
どの街にもたくさんいるだろう。
負けたときは、「負けたんだ」って
聞いてくれる人がそばにいればイイ。
好きなものに情熱がなくなったわけじゃない。
負けるときは、しっかりすっきり負けるべきだ。
しっかり負けるには、人に聞いてもらわないと。
次に進めない。
クラベリーホームから出たくなったときには
旅をしたくなったときには
連れてってくれる人と一緒にいたらイイ
旅のきっかけは、価値観の違う人しかくれない
許せる範囲で価値観の違う人は、きっと大事な人でしょう